*政治的な内容を含みます。ご注意を

8.21.2015

【書評】​ 北条政子 (永井 路子 著、1990年)

高杉晋作決起、カッコよかったですね。
登場当初はイメージと違うようにも感じられましたが、いまやバッチリではないでしょうか。 何かと目の敵にされるNHKですが、私は大河ドラマに関してはわりと楽しみにしています。もちろん劇中にNHK史観的なものが、時に紛れ込んでいるのも事実なので、全てを肯定はしませんが、それでもあれほどの予算を毎年かけながら、歴史劇として時代を掘り起こしていくのは、やはり貴重ではないかとおもうのです。(念のため、歴史劇と時代劇は、似て非なるものです。)
といっても、リアルタイムで追っかけ始めたのは、「八重の桜」(2013年)以降なので、まだまだニワカですが、古い作品をレンタルでまとめ見しています。


いろいろとレビューしたいのですが、今回は「草燃える」(1979年) のこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/草燃える

ドラマ自体も傑作ですが、今日はその原作小説、「北条政子」「炎環」(永井路子)の書評です。
いずれも平家政権末期から、鎌倉幕府が開かれ、北条が権力を掌握していく過程を描いた作品です。

書評といいながら、じつは「炎環」を読んだのは結構前のことで、めちゃくちゃ面白かったんですが、いま書評にできるほどには覚えておりません。今回読み終わった「北条政子」の話になりますが、いずれにしても、この時代の人物に光を当てて、これだけの叙事詩を描けるというのは、著者のものすごい天才性を感じずにはおれません。


たとえば司馬遼太郎と比べた場合、歴史劇の中に、地政学的分析や民俗的考察、国家観なんかの独特の分析を加えるのが、司馬の作品の醍醐味だと思うけど、永井の場合そういうのとはかなり雰囲気が違い、あくまで人物の内面や心情を通して、時代背景を見渡すという手法がとられているように感じる。とくに、女流文学なだけに、政子のように、女性を描かせた場合にそれは際立っているように思う。

源平というと、平治の乱あたりから、騒乱や政治的闘争の連続だけど、この作品の中では、それらは驚くくらい、あっさりと流されていて、序盤はホームドラマかよと肩透かしを食らった感じがするくらいです。ですがその中で、政子の視点を通した、とくに家族、子供らに関するイベントには、驚くくらい奥深く繊細に描写されていて、そこから時代周辺の様子が細かく知れるような仕掛けになっています。
とくに、長女大姫と源義高(木曾義仲の嫡男)の逸話や、「乳母」制度を核にした、二代将軍頼家とその背後で権勢をねらう比企能員らとの闘争などは、永井の作品ほど鮮やかに描かれているものは、他にないのではないかとすら思われる。


普通、高校の日本史で教わる北条政子像としては、承久の乱で御家人を結束させ、将軍家権威を源氏から北条家に取って代わらせた、鉄血の尼将軍というイメージがあるが、永井の作品での彼女は、運命に翻弄されながら、己の役割(妻として亡き頼朝の宿願を継ぐ)を果たそうとする、一人の生身の女性として描かれている。
キャラクター設定としてはかなり意欲的だけど、しょうもないヒューマニズムやフェミニズムに犯されることもなく、小説としても、資料としても、十分に評価される作品だと思う。


一つだけ気にかかったのは、北条義時(政子の弟で後の二代執権)の描写が、小説とはじめに紹介したドラマ「草燃える」とでは、微妙に違っていることです。
小説では、公暁が三代将軍実朝を殺害したのは、三浦義村の手引きであって、警護についていた義時はいち早く危険を察知したが、手遅れだったという描写になっています。

ドラマでは義時を松平健が演じているんですが、これがまた怖いくらい強烈な存在感を放っていて、その印象の強さのせいか、義時は、あえて実朝を見殺しにしたのではないかという風に思えるのです。
父である初代執権時政を隠居させ、有力御家人を次々と滅ぼし、ここで実朝を見殺しにし、犯人である公暁を逮捕すれば、源氏将軍家は絶える。仕上げに公暁をそそのかした三浦を排斥すれば、これで北条の支配は磐石となる、というシナリオで解釈したほうがドラマ性は高いと思うんだけど、本当のところはどうなんだろうか。(現実には、三浦がいち早く北条に恭順を示したんだけど。)

この後、朝廷がクーデターを仕掛けたことで、かえって鎌倉の結束が固まって、本格的な武家政権が始まる、というのは後日談となり、ドラマはここで終わっています。