*政治的な内容を含みます。ご注意を

7.13.2012

2012.06.21 古賀茂明「原子力規制委員会設置法」付則に書かれた抜け穴 モーニングバード・そもそも総研


20120621 原発「安全」のための規制庁が骨抜き ド... 投稿者 j817




なんなんだこの国は。。




 (文字おこし)- みんな楽しくHappy♡がいい♪  さん




もう一本追記。

2012.07.12 北尾吉孝日記 『「国会事故調」報告書の諸問題』
http://www.sbi-com.jp/kitao_diary/archives/201207125321.html


真に問題視されるべきは、戦後60年以上に亘る自民党長期政権下において築き上げられた政官財及びマスコミの癒着構造という諸悪の根源であって、その実態を解明すべくそれこそが正に大問題として指摘されるべき対象ではなかったのかと思うのです。
 例えば、経団連会長や副会長のポストに東電の歴代の首脳部達が就任し自民党に対して莫大な政治献金を行ったことで如何に原子力行政が歪められてきたのか、あるいは一体何故に東電のような半独占企業以上の独占企業が莫大な販促費や宣伝広告費等を毎年のように投じ続けなければならないのかが、大いなる疑問であり徹底的に調査すべき対象でありましょう。
 そういう中で原子力安全・保安院職員等の原子力行政に携わった人間の東電への天下り、あるいはマスコミを含めた情報操作とも言い得る状況を東電が実現し、東電の言いなりになる癒着構造が作り上げられ、そして我々国民が「他国と比して高水準の電気料金」を支払い続けてきたわけです。


北尾氏は原発については容認のスタンスなので、私は直接意見を同にするものではないが、上の見解に関しては全く異論はない。
ただ、ここまでわかっているのになぜ結論が異なってしまうのか不思議なんだけど、北尾氏が見逃しているのは、ようするに原子力発電なんて、こんな風に、灰色のお金で塗り固めないと、危険でコスト高で、とても割に合わないということに他ならないなのだ。

政治家や官僚との縁が断ち切られれば、5000億ともいわれる莫大な予算は降りる理由がなくなるし、そうなれば本来のどかな田舎町が、補助金目当ての誘致をめぐって、まっぷたつにわかれて相争うようなこともなくなる(つまり受け入れに手を上げるところなんかなくなる)。マスコミとの癒着がなくなれば、メディアはもっと公正に、事故リスクや放射能問題について取り上げるだろう。(今でこそ信じられないかもしれないが、マスコミが正面から電力や原子力行政を批判し始めたのなんて、3.11後つい最近の話なのだ。)

そうなれば原子力発電なんて、本来やってる電力会社の方からむしろお断りのシロモノなのは明らかであろう。実際東電の勝俣氏は、六ケ所村の再処理事業には、最後まで反対したと言われている。(福島第一原発事故報道メモ:毎日jp --核燃再処理:電事連でも撤退主張…東電、経産省首脳 2011年12月3日
しかし電力会社は、電力の安定供給という義務の上で、何よりの特権である地域独占を享受しているのだから、原発がなかったらないで、それこそ必死になって天然ガスを調達するなり代替エネルギー開発に取り組むなりするだろう。それが本来あるべき姿なのだ。

こんなことがいつまでも続くわけがないし、そうさせていいわけがない。政府や電力会社が原発は必要と言っているのは、日本国民にとって必要という話とは根本的に違うのだ。

7.12.2012

2012.06.23 神保哲生「町田徹:東電の値上げをめぐる不都合な真実」

2本転載。

はじめの動画は  ビデオニュース・ドットコム「町田徹:東電の値上げをめぐる不都合な真実」(2012年06月23日)。
電気代が上がるどうこうの次元ではなく、原子力発電所の過酷事故とは、一度起こしてしまうとこれほどまでに費用がかかるということが、よくわかります。


下のテキストは、 Global Energy Policy Research「原発を推進した私が福島で被災者として感じたこと-災害の本質、真の原因を考え続ける必要がある」(2012年07月9日)。
北村 俊郎氏(元原子力産業協会参事 元日本原子力発電理事)。生涯をかけて原発推進に取り組んできたら、引退した途端に原発被災者になっちゃったというお話。




福島事故において、政府の統率力のなさや、日本の技術力(ロボットも汚染水浄化装置も当初はみんな外国頼み)の程度には、相当失望させられたが、それより何より情けないのは、一年経って未だなお復興や住民帰還の道筋が立たないこと、にもかかわらず、ことここに及んですら、原発をなくすという方針において、国民の側でコンセンサスが取れないことだ。

以前にも述べたが、原発利権周辺の人達が、なんとかして再開したい、ここで終わる訳にはいかないと必死であがくのは、別にわからないわけじゃない。プライドもあろうし生活もかかっているだろう。この人らに言いたいのは、どのみちあらゆる意味で、原発の先が見えているのは明らかなんだから、この事故を神様の警告と考えて、この先はぜひその優秀な頭脳を、原子力の終焉に向かって注いで行くべきとうのが個人的な意見だ。

それはそうとして、どうにもおかしくて仕方ないのが、これも何度も言ってきたことだけど、原発エリート階級のおこぼれにすら授かれないのに、相変わらず必死になって原発を擁護している人たちの存在だ。はじめはアンチサヨク的感情なのだろうと思ったけども、あちこちのブログで議論してみて思った結論としては、結局冷めた目で「大衆」を見下して、ささやかな優越感に浸るのが好きな人達なのだろうということだと思う。福島事故の被害や原子力の必要性どうこうという話ではなく、ようは「原発ハンタイ」と叫んでいる人たちが気に入らないのだろう。

 デモという表現手段について、ここでどうこう言うつもりはないが、それにしても、下記のようなのは何とかならないんだろうか。。

・原発で誰も死んでいない。自動車事故のほうがたくさん死んでいる
・停止していても安全なわけじゃない (だから動かせ??)
・日本が廃止しても、中国や韓国で事故が起きれば同じ
・電気代が上がって企業が海外に出ていく
・熱中症で死人が出る
・これくらいの放射能は安全

だから原子力発電所は必要?あきれて言葉も無い。
ときどき「原発は将来的になくしていくべきなのはわかってるが、今すぐやめろと騒ぐのはおかしい。」という言い分を聞くけど、一見もっともらしいがまあ何も言っていないのと同じだろう。なぜならこの意見は「期限のない将来に先送りしなければならない必然的理由」が伴っていないから。単純な、足りる足りないの話で言っているなら、あれだけ揉めて結局全54(50)基のうち、たった2基関西圏だけで動かせば事足りてしまうようなものなら、数年で穴埋めできてしまう。この2基も怪しいものだが。(福島第一原発事故報道メモ:しんぶん赤旗 --大飯フル稼働 火力8基停止 関電に怒り “電力不足ウソか” 2012年7月8日

いやそうじゃなくて、石油が高くてホルムズ海峡が危なくて、という話をする人もいるが、これももともと推進側のおかしなすり替え宣伝だ。
中東の安定は日本にとっての生命線というのは事実だけど、石油というのはガソリンやプラスチックなどもはや文明レベルの話であって、発電にしか使えない原発とは、本体比べられるものじゃないのは子供でも分かる話だろう。そもそもウラン採掘から発電したあとの廃棄まで、原発産業とは石油なしにはまったく成り立たないのもとっくにバレてしまっているのだが。

まあ原発ビジネスで余程の利益を享受している立場の人でない限り、ふつうの人が必死で原子力製の電気を望む理由など無いわけだが、、、実際にその利益を享受してきた人が、この事故の被災者となって今何を思っているのかは、たいへん示唆に富んでいる。(下参照)



ところで先日NHKで、日本人は何を考えてきたのか 第3回 森と水と共に生きる ~田中正造と南方熊楠~  という番組があって、録画していたのを遅ればせながら見たのだけど、福島事故についても考えさせられる、非常に良い番組でした。また再放送があると思いますので、見逃した人はぜひチェックされることをおすすめします。



= 【ビデオニュース・ドットコム】 = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = =

2012.06.23 神保哲生「町田徹:東電の値上げをめぐる不都合な真実」
http://www.youtube.com/watch?v=i51BZ4Kbwrw&feature=relmfu





= 【Global Energy Policy Research】  = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = =

2012.07.09 「原発を推進した私が福島で被災者として感じたこと-災害の本質、真の原因を考え続ける必要がある」
北村 俊郎
元原子力産業協会参事 元日本原子力発電理事
http://www.gepr.org/ja/contents/20120709-01/

 原発の推進者が事故の被災者になった

半世紀ほど前から原子力を推進することを仕事としていたが、引退したとたんに自分自身が原発事故で避難しなくてはならなくなった。なんとも皮肉な話だ。

原子力専業の電力会社である日本原子力発電に入社したのが1967年。その後、安全管理と教育などを中心分野に現場と本社を交互に勤め上げ、地域対応も経験した。

数年前からは日本原子力産業協会に在籍するなど、まさに自分の職業人生は原子力推進一色であった。終の棲み家として13年前に福島県の浜通りの富岡町に家を建てたが、昨年の福島第一原発の事故で警戒区域となり、突然の避難を余儀なくされ、着の身着のまま隣の川内村へ逃げた。

しかしそこも数日で追われ、郡山市の大きな避難所に入り、「毎食が菓子パン、おにぎりとペットボトルの水」といった生活を体験した。一年半経過した現在も、須賀川市の住宅に避難中である。

過酷な避難行の中で、原発災害の実態とはこういうものかと思い知らされるとともに、絶えず頭から離れなかったのは、「何故、日本でこんな事故が起きてしまったのか」「何故、防災活動と、その後の住民に対するケアがひどく混乱したのか」ということである。

そこで見えて来たのは、根本的問題を後回しにしてきた前のめりの原子力政策、すべてを形式的に済ませてきた関係者の甘さ、中央官庁や本社からは現場が遥かに遠い存在であったこと、自治体も住民も利益享受には熱心であったが緊急事態に関してはまったく油断があったことなどである。
被災の状況など — 現地で問題は山積している

福島第一原発の事故の場合には、作業員や住民の被災状況はチェルノブイリ原発事故とはいささか異なるものだった。致死量の放射線を浴びた作業員もいないし、健康障害となる可能性のある被曝をした住民もおそらくいない。

だが避難に伴って亡くなった多くの要介護者、一年後にも散見される自殺者、そして避難指示と区域指定の誤り、食品安全基準の混乱などが起こった。

農地での作付が見送られ、予想外に遠くまで飛散した放射性物質により、東北地方にとどまらず国の基準値オーバーと風評被害による膨大な経済的損失が発生した。海岸部では津波の犠牲者捜索もできなかった。海中への汚染水の放出、流出も漁業関係者に損害を与えており、いまなおそれは続いている。

大熊町などを中心に警戒区域の大半が、数年間は帰還不可能な地域となり、住民の多くも戻る意思を失っている。これは農地、山林、宅地にかかわらず国土の一部が利用できなくなったことと同じである。

国が年間1ミリシーベルトを目標に行う除染も、効果が不明なところがあり、莫大な費用がかかりそうである。若い人の中には北海道や沖縄まで子供を連れて避難する人がいた。私の避難先である郡山市の住民さえ他県へ避難するなど、被爆に関する不安は異常なものがあった。放射線に関してまったく知識や経験がなかったことが、こうしたことを引き起こしたと思われる。

最大の被害は生まれ故郷や自然豊かな生活を奪われたこと。金銭であがなえないものが失われてしまったことだ。福島のイメージの回復も容易なことではない。放射線の不安、事故収束が道半ばであること、除染やインフラの復旧がまだであること、働く場所がないこと。こうした問題によって、区域解除となった町村でも住民の帰還は思うように進んでいない。これが原発事故の実態だと知る必要がある。
デタラメだった行政、電力会社の防災対策

発電所においては、事故対応に大きな問題があったが、地元ではそれに劣らず問題があった。今までの防災体制は「絵に描いた餅」であり、訓練は「畳の上の水練」であったことが明らかになった。

まずオフサイトセンターが機能しない形でコケたのだから話にならない。災害を想定し事故対応のために巨費を投じたはずの施設。ところが実際には何の役にも立たなかった。国からは何の連絡もなかったと自治体の首長たちは怒っているのだが、自分たちに油断があったことは認めざるを得ないはずだ。安易なシナリオ通りの防災訓練などについて淡々と伝えていたメディアは、問題意識のかけらもなかったことになる。

津波で海岸の道路は破壊されたが、あの大地震にもかかわらず、山に向かう主要な道路はほとんど通行に支障がなかったことは、まことに幸運であったと思わなくてはいけない。停電すればガソリンは補給出来ず、山間部に逃げ込んだら通信手段さえ失うことを再認識する必要がある。

都市に比較すれば人口は少ないとはいえ、国がバスを手配した大熊町、双葉町の二町以外の自治体では、バスなどはどこにもなく、避難時にはマイカーによる大渋滞が起きた。
驚きの賠償方式 

避難生活もここまで長くなると、被災者の関心は賠償に絞られる。だが、東電の行なっている賠償のやり方はすこぶる評判が悪い。

一例を挙げれば、避難などによる病気の発症や持病の悪化に対して、東電は平成23年(2011年)12月1日以降に初診のケースは賠償対象としないとしている。何故12月1日なのかと東電に聞いたら、「すべての体育館などの避難所が廃止されたのが10月末で、それから1ヶ月の余裕をみた」と答えたのには驚いた。

いまだ仮設住宅などに避難している人が大半であり、ストレスによる自殺者まで出ているというのに、なんと冷たく、非常識なルールを作ったものか。

東電は最初から請求内容を限定し、何も支払い基準を明らかにしていない。請求すると、勝手に自分たちで決めた上限金額で査定してくる。いやなら紛争解決センターに持って行けと、とても被災者を相手にしているとは思えない態度だ。

警戒区域に残してきた不動産に対する賠償にも、いまだに応じていないので、新天地で生活を再スタートしようとしている避難者は計画が立たない。

「被災者の気持ちに沿った、親切丁寧な対応で、出来る限り早く」という文言が白々しい。新社長の希望する「東電も少しは変わった」と言ってもらえる日は来そうもない。あいかわらず、現場やお客様の声が届かない体質なのだろうか。
あらためて思うこと

今回の大事故の根本原因は関係者が、原子力平和利用の三原則「民主、自主、公開」を踏みにじったことだ。

原子力村と呼ばれる共同体が、自分たちだけで決めて進めてきたことが、必要な慎重さと世間とのバランスを欠いた、形だけ取り繕った原子力開発となってしまったのだ。

推進と反対と二項対立で、互いに相手の立場に立って考えることなどまったくできなかった。その結果、肝心の現場や住民の安全が忘れ去られていった。
三原則が作られたのは、原子力の平和利用が始まった当時から「三原則に反する開発の恐れ」があったからではないか。

事故後一年以上経過したが、今持って事故原因の探求は調査委員会任せで、原子力村の中から反省の弁が少ないことも気になる点である。

原子力の世界で生きてきた人間として事故が起こったことは無念でならない。原発にかかわってきた人たちは、これまでを振り返り、今、言うべきことがあるのではないだろうか。


北村 俊郎(きたむら・としろう)1944年滋賀県生まれ。67年、慶應義塾大学経済学部卒業後、日本原子力発電株式会社に入社。本社と東海発電所、敦賀発電所、福井事務所などの現場を交互に勤めあげ、理事社長室長、直営化推進プロジェクト・チームリーダーなどを歴任。主に労働安全、社員教育、地域対応、人事管理、直営工事などに携わった。原子力発電所の安全管理や人材育成について、数多くの現場経験にもとづく報告を国内やIAEA、ICONEなどで行う。近著に「原発推進者の無念―避難所生活で考え直したこと」(平凡社新書)

= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = 以上転載 = = =

7.08.2012

ZGMF-X09A GIRORO

ZGMF-X09A GIRORO
ZGMF-X09A GIRORO,
originally uploaded by 5thLuna.
ケロロ軍曹アンコールやってるなんて知らんかった。

BB戦士のパーツがほぼ無改造で利用できました。

最近はNHK大河にはまりまくってます。
いまは、翔ぶが如く(90年)を見てます。つくづく昔の人は立派だったんだなあと感心させられます。

7.03.2012

2012.07.03 科学から見た反原発の問題点 菊池 誠「“御用”のレッテルで科学を殺すな」

= 【週プレNEWS】 http://wpb.shueisha.co.jp/2012/07/03/12292/ = = = = = = =

科学から見た反原発の問題点 菊池 誠「“御用”のレッテルで科学を殺すな」  [2012年07月03日]


福島第一原発事故以降、「御用学者」と罵声を浴びせられたこともある菊池 誠教授。それでも彼が発言を続けた理由とは?

あらゆる情報が錯綜し、安全なのか危険なのか、それどころか何が起こっているのかさえよくわからなかった福島第一原発事故の直後、「直ちに健康に影響はありません」という“大本営発表”に心から安心できた人はどれほどいただろうか。そんななか、ツイッターでより正確な情報発信を試みた何人かの科学者がいた。

そのひとりが、大阪大学サイバーメディアセンター教授の菊池誠氏だ。特にインターネット上や週刊誌上で飛び交う、科学的根拠やソースの怪しい危険情報について、彼は「それはおかしい」「真実ではない」と注文をつけ続けた。そんな姿勢に“御用学者”と罵声を浴びせる人たちもいたが、それでもなお発信をやめなかったのは科学者としての責務か、それとも人としての正義感だったのか―。

***

■とんでもないことを言う“専門家”もいた

―菊池先生の原発事故関連のツイートは、かなり大きな反響があったと思います。

菊池 “ニセ科学”の問題点を批判するようなことを何年もやっていて、今回の震災以前からブログなどで発表していました。ですから、ツイッターでの反響には面食らった部分もあります。内容も僕としては特別なつもりはありませんでした。

科学的に見てあまりにもあり得ない話があったら「それはない」と言ったり、当初から科学的な考察をしておられた東京大学の早野龍五(はやのりゅうご)先生とか、KEK(高エネルギー加速器研究機構)の野尻(のじり)美保子先生のツイッターを読むことを勧めたり。

―事故の影響に関して、専門家がもっと自発的に情報発信すべきだったと思いますか?

菊池 本当の意味での原子力の専門家がほとんど表に出てこなかったのは残念でした。もちろん、一部の専門家は事故直後からテレビにも出ていましたが、ご存じのように彼らの安全寄りの予想は外れ、事故は拡大していった。それで彼らが信用をなくしてしまったことが、その後に大きく影響したと思います。

また、容赦なく“御用学者”というレッテルが貼られるようになったことも、彼らが口をつぐんでしまった理由かもしれません。いずれにせよ、初期のつまずきで彼らの意見があまり表に出なくなったのは、われわれにとって大きな損失だったと思います。一番の専門家による専門知識を得られなくなったわけですから。

― 一部には、原子力業界と関係のない科学者についても、少しでも安全寄りな話をするとすぐに“御用”と呼ぶような風潮もありました。

菊池 御用学者という言葉を好んで広範囲に使った人たちやメディアもありました。週プレにも怪しい記事はありましたが、ほかの週刊誌ではもっとひどい記事があった。意見の中身を見ず、その人の社会的立場や結論だけから御用学者と決めつけてしまう。一方で、ものすごくセンセーショナルなことを言う“専門家”をもてはやす。科学者の肩書でも、とんでもないことを言う人がいました。

―同じ“科学者”なのに、言うことが全然違う。一般の人たちは当然混乱してしまいます。

菊池 ひどくおかしなことを言っているなぁとすぐにわかるはずのことも信じられてしまいました。例えば、水素爆発を「核爆発だ」とおっしゃる科学者もいた。でも、原子炉の核反応と核爆弾の核爆発がまったく違うのは科学者なら常識です。そういうでたらめなことを言っている、専門家ともいえない国内外の人たちが混乱を助長した面はあると思います。さすがに今は、ああいう極端な話をする人間は信用しなくていいと気づいた方も多いでしょうが、そういった話をいまだに真に受けている方もおられます。


―一般人にも“科学的思考”が必要ということでしょうか。

菊池 知識は力になります。難しいことはいらないので、基本的なところを少し勉強してみてほしい。放射能のリスクについても、危険か安全かの話の前に、まず放射線とはどういうものかを少し知る。遠回りに感じるかもしれませんが、それが役に立つと思います。自分の感覚的な価値観だけで結論を決めて、「とにかく危険」という話しか耳に入れない人も少なくない。でも、基本的なところを理解すれば、怪しい話かどうかは見分けられるはずです。

それとメディアの報道。両論併記さえすれば、それでバランスが取れると考えるのかもしれませんが、科学的な重みの違いもあわせて書いてほしい。さっきの核爆発にしても、そういう意見を言う自称“専門家”もいるにはいますが、科学的な重みでいえば「99対1」くらいで無意味です。でも、その差を言わなければ「50対50」に見えてしまい、実態とかけ離れた印象を与えてしまう。中途半端な両論併記は、かえって読者の適切な判断を妨げると思います。

―今の福島の状況についても、本当にいろいろな説が出回っています。

菊池 あれだけの放射能汚染があったわけですからリスクはあります。例えば福島市や郡山(こおりやま)市に住むなら、小さいとはいえ、明らかに放射能によるリスクが増している。ただ、事故から1年以上が経過し、綿密な調査によって、例えば子供たちの内部被曝が当初心配されていたほどではないことなどがわかってきました。

ところが、一方で福島の被害を大きく見せようとする人たちもいる。一部の先鋭化した人たちは今も「子供が住むべき所ではない」と声高に叫んでいます。彼らは正義感でやっているわけですが、だからといって事実ではないことを吹聴するのが許されるとは思えない。危険を強調したほうが人々のためになると言う人もいますが、小さいリスクを「大きい」と叫ぶことの弊害も決して小さくありません。住むか住まないかは各個人の判断を尊重すべきです。

―彼らは、放射線量について行政側の発表を信じていません。

菊池 側溝など放射性物質がたまりやすいとわかっている場所を測定すれば、極端に高い数値も出ます。でも、そこをわざわざ測って「こんなに高い!」と言っても意味がないんです。そこに住んでいる人にとって本当に必要なのは、側溝ではなく現実の生活空間そのものに即した情報です。動機は正義感かもしれないけど、放射能の危険を強調するために使えそうな情報を選んでいるだけでは、あまりにも無責任です。

正義の目的があり、その達成のためなら福島に住んでいる人がより不幸になっても構わないと考えているようにさえ見える。震災がれきの受け入れ問題でも、被災地の現状に目を向けているようには思えない。彼らは否定するだろうけど、結果として被災地をさらに不幸にしてしまっている。脱原発運動はいいのだけど、そういうおかしな正義感に基づいた運動では、決して被災地のためにも誰のためにもならないと思います。

―一部、先鋭化した反原発派から“御用学者”となじられても発言を続けてきた理由は?

菊池 責任感とか正義感ではないですね……。大したことも言っていないと思います。ただ単に、変な話が流布(るふ)するのが嫌なんです。それによって傷つく人や差別される人がいるのが悲しい。昨年の3月11日に津波の映像を見て以来、1年以上ずっと気持ちは晴れません。原発や放射能のことしか考えていない人たちに、こう問いたい。震災と津波で多くの犠牲者が出たことを、本当に覚えていますか?

(取材・文/コバタカヒト 撮影/高橋定敬)

菊池 誠(きくち・まこと)
1958年生まれ。東北大学理学研究科物理学専攻修了(理学博士)。大阪大学サイバーメディアセンター教授。「ニセ科学フォーラム」実行委員。著書に『科学と神秘のあいだ』(筑摩書房)、『信じぬ者は救われる』(香山リカ氏との共著・かもがわ出版)、『もうダマされないための「科学」講義』(計5名の共著・光文社新書)などがある

= = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = = 以上転載 = = =



菊池誠。大阪大学でサイバイマンの研究をしているらしい。
事故当初にこのブログでも、一度リンク先を紹介した覚えがある。当時ブルームバーグだったか、「Cl-38が検出(※)されたから、再臨界は続いている」という記事が出て騒然としていたところ、たしか菊池氏がいち早く、いやそれは無さそうという趣旨の記事を公開し、それがきっかけでしばらくは情報参照先の一つとして追っかけていました。(※結局これは東電側の解析ミス。検出されてませんでしたが正解。)

あそこはコメント欄も理科系の人が多かったらしく、やり取りとしては勉強になったものもあったのは事実だけど、それよりどうにも違和感を覚えて仕方なかったのは、ああいった人らの不思議なほどの「大衆愚民視」だ。なにかああいう人達に混じって(混じったつもりになって)いると、単に理科室で実験でもしてるかのような、神のごとく視点で先を見通せるかのような錯覚におちいり、再臨界だ水蒸気爆発だ放射能だと「バカ騒ぎ」しているのが、あほらしくなってくるから不思議なものだ。
現実には、作業員がバルブを手動で開けに突入したり、自衛隊がヘリで水を落としたりという、だれも先が見えない決死の光景が繰り広げられていたわけだが。


上記掲載の記事にも一端が垣間見えると思うけど、いくつか気になる点を上げておこう。



[菊池] 科学から見た反原発の問題点

タイトルからして早速恣意的なものだ。「科学から見た」というのは、反原発が科学的でないということを示唆している。
原発に反対している人たちは、はたして科学的論拠を欠き定説を逸脱しているのだろうか。科学的見地から原発の問題を指摘している科学者は、古今世界にいくらでもいるのだが。以降も順に指摘していくが、何が問題とされているのかも理解せず、ただ奴らは何の根拠もなくわめきちらしているだけと決めつけている時点で、すでに菊池氏は科学から最もかけ離れた存在であることに、本人は気づいていない。

目の前で惨劇が現在進行中のいま、科学から見た反原発の問題点をうんぬんいうまえに、科学から見た原発の問題点を徹底的に見直すべき時なのは子供にも分かることだろう。

そもそも一旦事故が起こってしまえば、それを収束する手段さえないような技術をさして、科学的だなどと豪語する時点で、すでに人としてどこか壊れてしまっていると思われる。




[菊池] 一部の専門家は事故直後からテレビにも出ていましたが、ご存じのように彼らの安全寄りの予想は外れ、事故は拡大していった。...
初期のつまずきで彼らの意見があまり表に出なくなったのは、われわれにとって大きな損失だったと思います。一番の専門家による専門知識を得られなくなったわけですから。

自分で言ってる通り、安全よりの予想は外れ、事故は拡大し、結果日本中を混乱に落とし、回避できたかもしれないリスクを負わされてしまった人がこれだけいる中で、なお「一番の専門家」にすがる意味はどれほどあるというのだろう?菊池氏のいう「一番の専門家」の定義は分からないが、「原子力の危険性を訴え続けてきた専門家」に関して言えば、事態の客観的な説明という期待された役目を、ちゃんと果たしたものと思われるが。これは、ばかな大衆が騙されただけのことなんだろうか。




[菊池] 意見の中身を見ず、その人の社会的立場や結論だけから御用学者と決めつけてしまう。一方で、ものすごくセンセーショナルなことを言う“専門家”をもてはやす。

さっき自分で行った通り、「意見の中身」が結果事実として間違ってたことが問題であって、さらによくよく知ってみると、そういった意見は客観的事実よりもむしろ、「社会的立場」主導によってもたらされている、という原子力特有の内情が白日の下にさらされたのが、この不信の渦の本当の原因だ。「センセーショナル」や「もてはやす」に愚民視がよく現れているが、みんな真剣に情報選択して結果説得力がある解説が取り上げられているだけのことだと思うのだけど。



[菊池] あれだけの放射能汚染があったわけですからリスクはあります。

だからそれが問題なんだって。



[菊池] 事故から1年以上が経過し、綿密な調査によって、例えば子供たちの内部被曝が当初心配されていたほどではないことなどがわかってきました。


それも1年経って、ようやく一つの経過として現時点で言えるだけのことだ。もう言うまでもないが、放射能健康被害で危惧されるのは、
1,潜伏期間が長く晩発性であるということ。つまり被害がでるとするなら、数年先という可能性が高いということ。
2,もし将来被害が出た場合、よほど顕著に統計に表れない限り、自然発病(それこそタバコや野菜不足など)に紛れて、福島事故との因果関係を証明できないこと。
3,そもそも放射能障害自体が完全に解明されていないこと。ガンや白血病のなるならないというような単純なものではなく、集中力の欠如だったり歯がもろくなったり、不眠だったり耳鳴りだったり。。これらはチェルノブイリ事故や原発労働者の症例として報告されているが、因果を証明をすることが極めて難しい。

それほど厄介なものであるという事実が、かろうじてわかっているだけのこと。それについて今心配することは、それほど愚かなことなんだろうか。




[菊池] 住むか住まないかは各個人の判断を尊重すべきです。...
側溝など放射性物質がたまりやすいとわかっている場所を測定すれば、極端に高い数値も出ます。でも、そこをわざわざ測って「こんなに高い!」と言っても意味がないんです。


だからそこが現に高いのが問題なんだって。都合の悪いものは見なければいい。それこそエセ科学と違うんですか?
世田谷だったか柏だったか、一時期あちこちから福島由来とは別の(放置)放射能が話題になったけど、ちゃんと法規に則って、周囲立ち入り禁止にして厳重に処理してたハズだが。どうして福島ではそれが許されるんだろう。住宅街じゃないから?




[菊池] 放射能の危険を強調するために使えそうな情報を選んでいるだけでは、あまりにも無責任です。

原発・放射能の安全を強調するために使えそうな情報だけ選んで、結果この事態を招いてしまったんだが。それを知ってなお擁護しようとするのは、無責任を通り越してもはや確信的犯罪です。



[菊池] 正義の目的があり、その達成のためなら福島に住んでいる人がより不幸になっても構わないと考えているようにさえ見える。

それは菊池氏が、勝手に他者をそういうふうに見下しているだけのことであって、そんなありもしない仮想人格を非難しても仕方ない。確認するが菊池氏は「原発をなくすためには福島人が不幸になっても構わない」と考えるような日本人が存在すると本気で考えているのだろうか?
「そう見えるんだから仕方がない」という、一主観の話でいいのなら、私には菊池氏が、福島事故をチャンスに原発ムラ特権階級の末席に取り入ろうとする、哀れなエア御用に見えて仕方がない。そう見えるのだから仕方がない。



[菊池] 知識は力になります。難しいことはいらないので、基本的なところを少し勉強してみてほしい。

極めて正論。ただ根拠もなしに、他者を知識もない勉強もしていないと決めつけているところが間違い。
原発反対で難しいのは、それが1色1人格ではないところで、いろんな種類の人が混じっているところだろう。だから断言することはできないが、原発に否定な目を向け放射能を危険視している人ほど、危機感を持って真剣に勉強している人が多いといえるのではないかと思う。勉強して問題を理解した上で、これはおかしいと思うから、あえて声を上げているのだ。むしろ、さして勉強していない人、問題の本質が理解できていない人ほど、中立やシニカルを装い、多勢の意見に敢えて懐疑して、それに満足しているような幼稚さが見えるように思う。
ただし、安全と思う人は安全という情報を重視するのと同じく、危険視する人はそういう情報こそ漏らさず重視するので、簡単に比較はできないが、それでも「不勉強な愚か者の馬鹿騒ぎ」には程遠いといえるだろう。
少なくとも今言えるのは、これまで安全論を振りまいてきた人間が、事実結果として信用に足るものではなかったということ。これは確定した過去だ。



[菊池] 結果として被災地をさらに不幸にしてしまっている。

サンケイホチュ論者がこういうことを言うならわからんでもないが、科学者が言ったらダメだろう。
被災地を不幸にし、今もそうさせ続けているのは、天災であり原子力発電所であり、政局と利権確保しか頭にない政府の無能にほかならない。
「ガレキを全国に拡散させるべきではない」「原子力発電はもうやめるべき」というのは、この先のリスクの無意味な拡散を少しでも食い止め、二度と同じ過ちを繰り返させないためのものであって、現に既に起きてしまった福島事故と同列に論じるものではない。
私が思うにがれき受け入れという方針は、我慢をわかちあうという情の意味で、やむなしかとは思うが、だからといって受け入れに反対している人を悪者にすり替えるような卑劣なやり口は、 人として許すことはできない。



[菊池] 1年以上ずっと気持ちは晴れません。原発や放射能のことしか考えていない人たちに、こう問いたい。震災と津波で多くの犠牲者が出たことを、本当に覚えていますか?


だれだって晴れやかな人などいないだろうに。心を痛めているのが自分一人だとでも思っているのだろうか。

ところで反・反原発活動のことしか考えていない菊池氏に、こう問いたい。10万人とも言われる人が、放射能汚染のために帰郷できずにいる現実を、本当に知っているんですか?